●11月3日の文化の日、宮中で文化勲章の授章式があるが、その5人の一人に尊敬する日野原重明先生が選ばれました。非常におめでたいことで、ご同慶の至りです。以前にいた出版社で、看護関係の専門書を出版するときに、大変お世話になりました。
●ご存知の方も多いと思いますが、最近でこそ、先生の名前は日本全国に有名ですが、お知り合いになったころは、まだ、古い聖路加病院の院長で、付属の看護大学の学長でした。もう、20年も前のことです。古い校舎の聖路加看護大学に何回も足を運びました。
●当時から非常にご多忙で、なかなか時間を取れなくて、築地の聖路加から永田町の砂防会館に移動されるときに、車の横の席に乗せていただいて、いろいろとお話しをさせていただきました。また、京都へ向かう新幹線のグリーン車の横にも乗せていただきました。
●医者でありながら、「いいかね、成岡君、看護はアートなんだ、アートなんだよ。」が口癖で、医者より低く見られていた看護のレベルアップに非常に尽力されました。技術でなく、心なんだ、とうことだったと思います。また、聖路加病院を建て直し、新しい考えの病院を作られました。
●新しい病院の建設を検討した理事会の終わるのを帝国ホテルで待たせていただいて、お食事をご一緒したときも、「僕はね、日本一の患者のための病院を作るんだ。」という、「志(こころざし)」に燃えた目で、語っていられました。そして、見事に理想の病院を作られました。
●サリン事件の時の、聖路加病院の危機対応やリスクマネジメントのレベルの高さは当時、模範とされました。また、当初から、そういう病院を作るんだという理想を高く掲げられ、実現に向けて努力されました。経営者としての判断も、立派だった思います。
●当初から、大規模災害を想定され、廊下のいたるところに酸素などの取り出し口を設けたり、緊急時にはいたるところが、臨時の病床に変更できる工夫など、数々の最新の考えをとりいれて、「日本一の患者のための病院」つくりに邁進されました。
●明治45年生まれ。成岡の知る唯一の現役明治生まれの方です。生きている方は多いと思いますが、いま、なお、現役のDrとして、毎日活動しておられる偉大さには、正直、敬服を通り越し、偉大さを感じずにはいられません。
●ひとつだけ、まずいのは、字が異常にきたないことです。原稿を直していただいても、ほとんど読めませんでした。さすがに、秘書の方には判読可能で、いつも、秘書の方に翻訳していただいていました。それほどの悪筆でした。これは、いまもそうだと思います。まあ、ご愛嬌でしょうか。
●経営者としての聖路加の理事長としての日野原先生を見れば、「志(こころざし)」の高さと実行力でしょうか。それと、「生涯現役」のバイタリティーでしょうか。これは、企業の経営にも同じことが言えると思います。また、新しいことに対するチャレンジ精神でしょうか。最近、ベストセラーが多く出ていますので、ぜひ、お読みください。
●もし、縁起の悪い話しですが、いつか、お亡くなりになったら、必ず告別式には、成岡にとってはどんなことがあっても行かないといけないおひとりなのです。ぜひ、さらに長生きされて、いつまでも、本当の「生涯現役」を貫いて欲しい、お手本中のお手本です。企業の経営者も、かくありたいと思います。
●ご存知の方も多いと思いますが、最近でこそ、先生の名前は日本全国に有名ですが、お知り合いになったころは、まだ、古い聖路加病院の院長で、付属の看護大学の学長でした。もう、20年も前のことです。古い校舎の聖路加看護大学に何回も足を運びました。
●当時から非常にご多忙で、なかなか時間を取れなくて、築地の聖路加から永田町の砂防会館に移動されるときに、車の横の席に乗せていただいて、いろいろとお話しをさせていただきました。また、京都へ向かう新幹線のグリーン車の横にも乗せていただきました。
●医者でありながら、「いいかね、成岡君、看護はアートなんだ、アートなんだよ。」が口癖で、医者より低く見られていた看護のレベルアップに非常に尽力されました。技術でなく、心なんだ、とうことだったと思います。また、聖路加病院を建て直し、新しい考えの病院を作られました。
●新しい病院の建設を検討した理事会の終わるのを帝国ホテルで待たせていただいて、お食事をご一緒したときも、「僕はね、日本一の患者のための病院を作るんだ。」という、「志(こころざし)」に燃えた目で、語っていられました。そして、見事に理想の病院を作られました。
●サリン事件の時の、聖路加病院の危機対応やリスクマネジメントのレベルの高さは当時、模範とされました。また、当初から、そういう病院を作るんだという理想を高く掲げられ、実現に向けて努力されました。経営者としての判断も、立派だった思います。
●当初から、大規模災害を想定され、廊下のいたるところに酸素などの取り出し口を設けたり、緊急時にはいたるところが、臨時の病床に変更できる工夫など、数々の最新の考えをとりいれて、「日本一の患者のための病院」つくりに邁進されました。
●明治45年生まれ。成岡の知る唯一の現役明治生まれの方です。生きている方は多いと思いますが、いま、なお、現役のDrとして、毎日活動しておられる偉大さには、正直、敬服を通り越し、偉大さを感じずにはいられません。
●ひとつだけ、まずいのは、字が異常にきたないことです。原稿を直していただいても、ほとんど読めませんでした。さすがに、秘書の方には判読可能で、いつも、秘書の方に翻訳していただいていました。それほどの悪筆でした。これは、いまもそうだと思います。まあ、ご愛嬌でしょうか。
●経営者としての聖路加の理事長としての日野原先生を見れば、「志(こころざし)」の高さと実行力でしょうか。それと、「生涯現役」のバイタリティーでしょうか。これは、企業の経営にも同じことが言えると思います。また、新しいことに対するチャレンジ精神でしょうか。最近、ベストセラーが多く出ていますので、ぜひ、お読みください。
●もし、縁起の悪い話しですが、いつか、お亡くなりになったら、必ず告別式には、成岡にとってはどんなことがあっても行かないといけないおひとりなのです。ぜひ、さらに長生きされて、いつまでも、本当の「生涯現役」を貫いて欲しい、お手本中のお手本です。企業の経営者も、かくありたいと思います。